① 古く陰暦六月一六日、疫を除くためといって神に供えた菓子または餠を食べた風習。この時の菓子または餠の数は一六個であるため、後には銭一六文で買って食べるようになった。室町末頃よりの風習で、名称は、これが行なわれ始めたとする仁明天皇、嘉祥元年(八四八)の年号によるともいい、また、室町幕府で用いた宋銭、嘉定通宝によるともいう。戦国時代から江戸時代にかけて、「嘉通」を「勝つ」に通わせて吉祥とし、同通宝一六枚で食物を買い六月一六日に贈答した。嘉祥祭。《 季語・夏 》
[初出の実例]「参昨神事御礼嘉定本所へ」(出典:鈴鹿家記‐応永六年(1399)六月一六日)
② 江戸幕府年中行事の一つ。陰暦六月一六日、将軍が大広間に出て、目見(めみえ)以上の士に菓子一種ずつを賜う式。