藤原隆祐(読み)ふじわらのたかすけ

朝日日本歴史人物事典 「藤原隆祐」の解説

藤原隆祐

没年:建長3以降(1251)
生年:生年不詳
鎌倉時代歌人。『新古今和歌集選者である藤原家隆と,藤原雅隆の娘の子。歌人としての本格的な活動は,承久3(1221)年の承久の乱以降で,嘉禄1(1225)年の『藤原基家家三十首』に,藤原定家推奨で参加し,定家歌才を賞賛された。その後も『光明峯寺摂政家歌合』(1232)に出詠したりしていたが,『新勅撰和歌集』(1235)には2首しか入集せず,晩年は歌人として不遇のまま終わった。家集に『隆祐朝臣集』がある。<参考文献>久保田淳「藤原隆祐について」(『中世文学』1965年5月号)

(渡部泰明)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原隆祐」の解説

藤原隆祐 ふじわらの-たかすけ

?-? 鎌倉時代の公家,歌人。
藤原家隆の子。母は藤原雅隆の娘。侍従,従四位下にいたる。後鳥羽院(ごとばいん)歌壇で活躍,「遠島御歌合」にも出詠している。作歌は建長3年(1251)の「影供(えいぐ)歌合」までみられ,「新勅撰和歌集」以下勅撰集に41首がはいっている。家集に「隆祐朝臣集」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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