藤吾村
とうごむら
[現在地名]上山市藤吾・赤坂
藤五・東郷とも書く。長清水村を経て川口村、赤湯村(現南陽市)に行く米沢街道に沿う村で、赤坂は枝郷である。慶長五年(一六〇〇)の出羽合戦では上杉軍の攻撃を受け焼かれたが、上山勢もよく反撃した。忠川池近くに大将塚、赤坂に主人首塚が残り、供養碑が建つ。正保郷帳では藤五村とあり、田方三二二石余・畑方一四三石余。元禄一一年(一六九八)の村明細帳(三浦文庫)では高四七九石余、うち新田一三石余、反別は田三〇町六反余・畑一七町余で、銭一貫四三〇文・薪七二駄が課されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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