藤太郷(読み)とうたごう

日本歴史地名大系 「藤太郷」の解説

藤太郷
とうたごう

現若草町藤田(とうだ)、あるいは須玉(すたま)町藤田に比定されている。建武五年(一三三八)正月二八日の足利尊氏袖判下文(内藤家文書)に「甲斐国藤太郷」とみえ、内藤次郎教泰が越生四郎左衛門尉跡を尊氏から勲功の賞として与えられている。康永三年(一三四四)、教泰が藤太郷を松尾六郎左衛門尉に押領されたと幕府に訴え、松尾氏は請文を提出している(一二月一四日「高江経兼請文」同文書)。しかし翌四年六月教泰は守護代高江経兼が松尾氏と結託して遵行しないと、幕府に所領の引渡しを求めている(「内藤教泰重申状」同文書)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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