朝日日本歴史人物事典 「藤田こん」の解説
藤田こん
生年:生年不詳
江戸前期の女性義民。丹波国仏主村(京都府)百姓猪兵衛妻。延宝年間(1673~81)園部藩(京都府)の苛政33カ条を巡見使へ直訴した科で追放に処されたとされる。乳呑児を背負い,一子の手を引いて巡見使の宿所に訴願し,苛政の免除の内諾を得,喜び帰宅したときには乳呑児の息が絶えていたという。史実では夫猪兵衛が,寛文6(1666)年に京都所司代に訴願したが不実の訴願とされ牢舎,妻子は追放の刑に処された事件が誤り伝えられたもの。延宝4(1676)年将軍徳川家綱夫人の死により特赦を得て帰村を許された文書が存在し,それが誤伝の元となったと考えられる。
(保坂智)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報