藤間 小伊勢
フジマ コイセ
- 職業
- 日本舞踊家
- 肩書
- 福岡市古典舞踊協会会長
- 本名
- 山本 国栄
- 別名
- 別名=鳳声 秀胡
- 生年月日
- 明治29年 9月9日
- 出生地
- 大阪府 大阪市
- 学歴
- 大阪育英女学校卒
- 経歴
- 8歳から日本舞踊を、9歳から三味線を習う。大阪育英女学校を卒業後、大正11年に日本舞踊藤間流の名取となり、12年には福岡県博多に稽古場を開いた。昭和3年博多の大濠公園で常磐津「羽衣」を宙づりの新趣向で踊り、大評判となった。九州における藤間流の草分けといわれ、その普及に尽力。戦後は福岡市古典舞踊協会を結成し、初代会長となった。また、鳳声秀胡を名乗り、笛もよくした。
- 没年月日
- 昭和39年 9月9日 (1964年)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
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藤間 小伊勢
フジマ コイセ
大正・昭和期の日本舞踊家 福岡市古典舞踊協会会長。
- 生年
- 明治29(1896)年9月9日
- 没年
- 昭和39(1964)年9月9日
- 出生地
- 大阪府大阪市
- 本名
- 山本 国栄
- 別名
- 別名=鳳声 秀胡
- 学歴〔年〕
- 大阪育英女学校卒
- 経歴
- 8歳から日本舞踊を、9歳から三味線を習う。大阪育英女学校を卒業後、大正11年に日本舞踊藤間流の名取りとなり、12年には福岡県博多に稽古場を開いた。昭和3年博多の大濠公園で常磐津「羽衣」を宙づりの新趣向で踊り、大評判となった。九州における藤間流の草分けといわれ、その普及に尽力。戦後は福岡市古典舞踊協会を結成し、初代会長となった。また、鳳声秀胡を名乗り、笛もよくした。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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藤間小伊勢 ふじま-こいせ
1896-1964 大正-昭和時代の日本舞踊家。
明治29年9月9日生まれ。8歳から日本舞踊,9歳から三味線をならい,大正11年藤間流の名取となる。翌年福岡に稽古場をひらいた。戦後は福岡市古典舞踊協会初代会長となり,九州各地に藤間流をひろめた。昭和39年9月9日死去。68歳。大阪出身。大阪育英女学校卒。本名は山本国栄。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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