日本舞踊の流派。流祖は初世藤間勘兵衛(ふじまかんべえ)(?―1769)であるが、この名跡は現在継承されていない。藤間勘十郎を継ぐ家系と、藤間勘右衞門(ふじまかんえもん)を継ぐ家系の二つに大別される。
(1)勘十郎家 当家系では、勘十郎を名のっていた(1798~1819)3世勘兵衛を代数に数えず、彼の養子の勘十郎(名義としては2世。1796―1840)を元祖(初世)とする。この元祖と6世(名義としては7世。1900―90。90年に2世藤間勘祖となる)が大きな存在。3世勘兵衛の養子の一人に後の4世中村歌右衛門があり、門弟からは後の4世西川扇蔵(せんぞう)が出た。6世は劇場振付けを一手に占めるほど活躍し、歌舞伎(かぶき)俳優の門弟多数。1983年(昭和58)6世の長女が7世宗家藤間康詞(みちのり)を名のり、90年(平成2)に7世藤間勘十郎を襲名。その長男が2世康詞を名のった。のち2002年に2世康詞は8世勘十郎を襲名。なお6世勘十郎の妻、藤間紫(むらさき)は88年、紫派藤間流を創流して家元となった。
(2)勘右衞門家 初世(1813―51)は7世市川団十郎の門弟市川金太郎で、2世(勘十郎家でいう初世)勘十郎に入門(一説には3世勘兵衛に師事)、勘右衞門を名のる。2世(1840―1925)が歌舞伎座の振付師となり、隆盛の基盤を築いた。3世(1870―1949)は流儀を発展させた7世松本幸四郎で、彼以降は代々歌舞伎俳優を兼ね、4世(1913―89)は2世尾上松緑(おのえしょうろく)、5世(1946―87)は1975年(昭和50)襲名。初世尾上辰之助(たつのすけ)(没後、3世尾上松緑を追贈)であった。6世(1975― )は93年(平成5)襲名。4世尾上松緑である。当流派門下に藤間政弥(まさや)、藤間藤子(ふじこ)ら、優れた人材を輩出した。
[如月青子]
日本舞踊の流派。藤間流には勘十郎家と勘右衛門家の2派があり,流祖はともに藤間勘兵衛である。
(1)勘十郎家 3世勘兵衛(一時,勘十郎と改名。名義初世勘十郎)の養子2世藤間勘十郎が始祖とされ,3世から6世まで女系によって名跡が伝えられた。1927年6世尾上梅幸の門弟梅雄が養子に入り,勘十郎を襲名,歌舞伎の名振付師として活躍した。家系としては,3世勘兵衛を代数に数えないため,6世を名のった。83年6世の長女康詞(みちのり)が7世宗家を相続した。2002年7世の長男が8世勘十郎を襲名。
(2)勘右衛門家 7世市川団十郎の門弟市川金太郎が,のち2世藤間勘十郎(一説に3世勘兵衛とも)の門に入って振付師となり,初世藤間勘右衛門を名のったのが始めである。初世の実子2世勘右衛門は引退した初世花柳寿輔に代わって,明治劇壇の立振付師となり活躍,養子の7世松本幸四郎に3世勘右衛門をつがせ,自身は勘翁と改めたが,勘右衛門家の基盤はこの勘翁によって築かれた。7世幸四郎は俳優と舞踊家を兼ね,三男の2世尾上松緑が1937年4世勘右衛門(のち勘斎)を襲名,75年松緑の長男尾上辰之助が5世勘右衛門を襲名した。のち5世の急逝などがあり,93年5世の長男が6世勘右衛門を襲名。
執筆者:柴崎 四郎
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…しかし流派はまた新しい流派や分派を生み,宗家,分家家元などの名称も生じており,現在流派の数は150を超え,今後ますます分派していく傾向にある。 振付師から出た流派では,志賀山万作を流祖とする志賀山流,江戸の振付師藤間勘兵衛から出た藤間流,西川仙蔵を祖とする西川流,幕末期から明治にかけて活躍した初世花柳寿輔が開いた花柳流,若柳吉松の若柳流や,市山七十郎の市山流等がある。また俳優の家から出たものに3世中村歌右衛門を初世とする中村流があり,同じ中村流を名のるものに,初世中村富十郎を祖とするもの,中村弥八(1703‐77)を祖とする虎治派,3世坂東三津五郎より出た坂東流があり,そのほか水木流,岩井流,市川流,尾上流等がある。…
※「藤間流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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