藻原庄・藻原郷
もばらのしよう・もばらごう
一宮川流域、現在の茂原市街を中心とした一帯に比定される。藻原庄は平安時代、藻原郷は戦国時代に登場する。寛平二年(八九〇)八月五日の藤原菅根等連署施入帳(朝野群載)に「藻原庄壱処」とみえ、庄域は当時東西一千二〇丈(約三キロ)・南北四八七丈(約一・五キロ)の規模をもち、東は「清水野」、南は「縁野」(緑野か)、西は「巨堤葦原」、北は「小竹河」を四至としている。以上の庄域の規模および四至から、北限の「小竹河」を豊田川、西限の「巨堤葦原」を茂原市国府関から長柄町力丸・千代丸にかけての谷底平野と考え、南限を茂原市箕輪から長柄町榎本付近、東限を茂原市の長谷から内長谷付近とする説がある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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