日本歴史地名大系 「蛇持村」の解説 蛇持村じやもちむら 岐阜県:養老郡養老町蛇持村[現在地名]養老町蛇持大坪(おおつぼ)村の南東、相(あい)川の右岸に立地する。村の北を同川支流の色目(いろめ)川が東流する。南は飯田(いいだ)村。慶長郷帳に「ぢやもち村」とみえ、高四二三石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳では堀直寄(越後長岡藩)領。正保郷帳では尾張藩領で田三三七石余・畑八六石余。明暦覚書によれば尾張藩領になったのは元和五年で、概免四ツ五分余、人数一五一、馬一二。不破郡垂井(たるい)宿(現垂井町)に助人馬を出し、美濃路の道作り人足を出していた。「濃州徇行記」によれば家数二八・人数一五四、馬七。村は湿地帯で水損がちのため衰亡しかけた時期もあったが、江月(えつき)村・栗笠(くりがさ)村の各庄屋が当村を兼帯し、存続させたという(同書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by