蛙田村
かえるだむら
[現在地名]会津坂下町八日沢
旧宮川(鶴沼川)左岸にあり、北は大口村、西は見明村、東は笊籬屋敷村・船越村。本村の北西五町に端村の西蛙田がある。村名はかつてこの地に蛙沼という大きな池があったためという(新編会津風土記)。「塔寺長帳」永正六年(一五〇九)条に「かいる田の満蔵坊、熊野宮之御もんと候、権別当ニなり、熊野恵隆坊別当御もち候、御代管にて候」とあり、蛙田の満蔵坊が熊野恵隆坊と兼帯で熊野宮の権別当を勤めている。同八年には塔寺八幡宮の千手堂の屋根葺替えの際、蘆名氏の役人平田弾正の代官として「見さハ殿かいる田の満蔵坊」がみえる。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では高二五二石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報