蛟松殿跡(読み)はいまつどのあと

日本歴史地名大系 「蛟松殿跡」の解説

蛟松殿跡
はいまつどのあと

平安前期の官人で、三筆の一人といわれた橘逸勢の邸宅跡。「拾芥抄」は「姉小路北堀川東 橘逸勢家」と記す。同書東京図は堀河院ほりかわいんの南一町に記載。これは現在の鍛冶かじ町・式阿弥しきあみ町・もり町・三坊堀川さんぼうほりかわ町の一部にあたる。

逸勢からどのような経過を経たかは不詳であるが、「水左記」承保三年(一〇七六)六月二一日条に「(師房)大殿令渡蛟松殿給、今日関白(師実)殿可令坐彼所云々、是為令覧新造之様歟」とあり、源師房の邸となっていたらしく、この時新造して関白師実を迎えている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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