日本歴史地名大系 「蜂田庄」の解説 蜂田庄はちたのしよう 大阪府:堺市蜂田庄大鳥郡蜂田郷内に成立した庄園で、現八田寺(はんだいじ)町・八田北(はんだきた)町・八田南之(はんだみなみの)町・八田西町・東八田(ひがしはんだ)・平井(ひらい)辺りに比定される。八田庄とも書かれた。ちなみに文安二年(一四四五)頃の和泉国寺社東寺修理奉加人交名(教王護国寺文書)に「八田寺」がみえ「ハンタ」の読仮名を付す。保元三年(一一五八)一二月三日付で山城石清水(いわしみず)八幡宮と別当寺極楽(ごくらく)寺に与えられた官宣旨(石清水文書)に「蜂田庄」とみえるのが早く、領家預所・下司・公文などの庄官が異論を唱え、掠領を企ててはならない庄園の一所とされている。「榊葉集」によると、当庄は石清水八幡宮の八月の放生会の直米を負担しており、「放生直米捌石」のうち五斗ずつ九日分の計四石五斗を納めている。一方、摂関家大番領としての「八田庄」もあったようで、建長二年(一二五〇)一一月日の九条道家初度惣処分状(九条家文書)にみえ、道家から八田庄の半分ずつを一条実経と九条忠家が譲られている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by