蜂田郷(読み)はちたごう

日本歴史地名大系 「蜂田郷」の解説

蜂田郷
はちたごう

和名抄」高山寺本・東急本とも表記は異なるが「はちた」(波智太・波知多)と訓じている。「和泉志」は家原えばら平岡ひらおか毛穴けな八田寺はんだいじ堀上ほりあげきたみなみ小坂こさか(阪)楢葉ならば平井ひらいひがし升屋ますや(東山新田)の諸邑(現堺市)を郷域とし、半陀はんだ郷と称している。式内社は蜂田・坂上さかのうえの二社であるが、平井の地にあった坂上社は明治四三年(一九一〇)多治速比売たじはやひめ神社(現堺市)に合祀された。

当郷からは古代の傑僧である行基が出ている。家原えばら寺はその生家を改めて建立されたものと伝える。行基は高志才智を父とし蜂田古爾比売を母として生れ、道昭を師として修行し、主として畿内諸地域を遍歴して民衆を教化し、また各種の社会事業を行った。その宗教活動が「僧尼令」に規定する律令国家の政策と相容れないために弾圧を受けるが、やがて政府も行基の活動を認め、東大寺大仏造営に当たっては大僧正に任じてその協力を求めている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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