蟹谷庄
かんだのしよう
現小矢部市南部から福光町一帯にかけての山間地に比定される。初め内蔵寮領、のち山城石清水八幡宮領。「中右記」承徳元年(一〇九七)八月二五日条に「内蔵寮蟹谷庄」とみえ、当庄司職を父が補任されていたとして某信高が希望したが、二〇年来過怠なく庄務を勤めてきた高階為章を本司に補任し、為章の庄務に怠りがあった場合には信高を補任するとされた。元弘三年(一三三三)五月二四日の内蔵寮領等目録(宮内庁書陵部所蔵文書)には蟹谷保とみえ、初任の時、任料二〇貫文を上納する地であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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