日本歴史地名大系 「小矢部市」の解説 小矢部市おやべし 面積:一三四・〇九平方キロ県の西端に位置し、北は石川県河北(かほく)郡津幡(つばた)町と西礪波(にしとなみ)郡福岡(ふくおか)町、東は砺波市、南は東礪波郡福野(ふくの)町・西礪波郡福光(ふくみつ)町、西は石川県金沢市・津幡町。北・西・南の三方は丘陵性山地で囲まれている。南東より市域に入る小矢部川の沖積平野が中央部から東に広がり、旧石動(いするぎ)町付近で渋江(しぶえ)川と合流した小矢部川は進路を北東に変え、横江宮(よこえみや)川・子撫(こなで)川・坂又(さかまた)川などを市域で合せる。中央部を国道八号とJR北陸本線が並走する。南部の丘陵地帯を北陸自動車道が横断する。〔原始・古代〕旧石器時代の遺跡は杉谷内床(すんないちとこ)ノ山(やま)遺跡や松尾談議所(まつおだんぎしよ)遺跡・埴生上野(はにゆううわの)遺跡・安養寺(あんようじ)遺跡などがある。このうち杉谷内床ノ山遺跡は縄文時代・古墳時代の遺跡でもあり、埴生上野遺跡では縄文時代から奈良時代および中世の珠洲陶器までの土器が出土している。縄文時代の遺跡では子撫川沿いの桜町(さくらまち)遺跡から石斧柄などの木製品や、橋状遺構、貫穴をもつ丸太などが検出された。そのほか礪波山山麓には鐙塚(あぶみづか)遺跡・五俵刈(ごひようがり)遺跡・石坂(いしさか)遺跡・柿(かき)ノ木平(きだいら)遺跡など、渋江川沿いの段丘上には、縄文時代草創期の有舌尖頭器や槍先形尖頭器・削器などと大量の剥片が出土し注目された臼谷岡(うすたにおか)ノ城北(じようきた)遺跡や臼谷岡村(うすたにおかむら)遺跡などがある。臼谷岡ノ城北遺跡では黒鉛を含む山形押型文土器や楕円押型文土器、また平安時代の遺物、中世の掘立柱建物なども検出されている。臼谷岡村遺跡でも奈良・平安時代―中世の須恵器・土師器の破片が出土している。蟹谷(かんだ)丘陵麓にも浅地高木山(あさじたかぎやま)遺跡などがある。弥生時代後期から古墳時代にかけての集落遺跡は渋江川左岸の段丘上に日の宮(ひのみや)遺跡や道林寺(どうりんじ)遺跡などが点在。古墳発生期の方形周溝墓や住居跡が検出されている平桜川東(ひらざくらかわひがし)遺跡もある。古墳は前方後円墳の若宮(わかみや)古墳、銅鏃が出土した関野(せきの)古墳群や谷内(やち)古墳、興法寺の丸山(こうぼうじのまるやま)古墳、蓑輪の大将軍(みのわのだいしようぐん)古墳などがある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小矢部市」の意味・わかりやすい解説 小矢部〔市〕おやべ 富山県西部,小矢部川中流域にあり,石川県と境を接する市。 1962年石動 (いするぎ) ,砺中 (とちゅう) の2町が合体して市制。中心市街地の石動は北陸道の倶利伽羅峠のふもとの宿場町で,南部の津沢とともに小矢部川の河港としても発達。米作のほか,エノキダケ,茶が栽培され,養鶏も盛ん。自動二輪車,繊維,ゴム,木材,化学などの工場が立地。南西部には砺波山の戦いで有名な古戦場を中心に倶利伽羅県定公園がある。北部の丘陵地帯を流れる小矢部川支流の子撫川の上流は宮島峡と呼ばれ,滝や甌穴群がある。 JR北陸本線,国道8号線が市域中央部を,北陸自動車道が南部を横断し,インターチェンジがある。面積 134.07km2。人口 2万8983(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by