デジタル大辞泉
「勝興寺」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
Sponserd by 
しょうこう‐じ【勝興寺】
- 富山県高岡市にある浄土真宗本願寺派の寺。山号は雲龍山。文明三年(一四七一)蓮如が創建した土山御坊にはじまる。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
Sponserd by 
勝興寺
しようこうじ
[現在地名]高岡市伏木古国府
JR氷見線伏木駅の西側四〇〇メートルにあり、古代の越中国府跡といわれる。雲龍山と号し、浄土真宗本願寺派、本尊阿弥陀如来。本願寺七代存如の弟如乗は井波瑞泉寺住持となり、五代綽如の外孫勝如(越前荒川興行寺周覚女)を室とした。この勝如が越中土山坊(現福光町)の開基といわれ、土山坊が勝興寺の前身である。本願寺九代実如は勝如について「北陸道当流法再興人也」といったという(大谷一流系図)。本願寺八代蓮如四男蓮誓は、いつ頃か加賀・越前境の加島(現石川県加賀市)に住み、瑞泉寺蓮乗(蓮如次男)によばれて土山に住んだ(反故裏書)。そして礪波郡河上は瑞泉寺へ与力、ほかの越中国坊主衆の与力が蓮誓に諮られたという。土山居住は、文明三年(一四七一)の蓮如の越前吉崎(現福井県金津町)下向以前と思われる。土山坊は「きり深き所とて」高窪(現福光町)へ移ったという(蓮如上人塵拾鈔)。この高窪在住時に実如によって勝興寺とつけられた(反故裏書)。永正一六年(一五一九)炎上の後、安養寺村末友(現小矢部市)に移っている(同裏書)。同年一一月一〇日付の「越中国利波郡蟹谷荘内安養寺村勝興寺釈実玄」宛の実如下付大谷本願寺親鸞聖人絵伝(寺蔵)はそのことを証している。享禄四年(一五三一)蓮如庶子の加賀一門勢と、越前から加賀へ亡命していた藤島超勝寺とが争い、後者を支援する本願寺勢の参陣により前者が没落するという錯乱が起こった。いわゆる大(本願寺勢)小(加賀一門)一揆である。加賀一門の山田光教寺(現加賀市)に連なる勝興寺実玄は当初小派であったが、「内縁にひかれ」大派に転じ、息証玄は大派として能登に出陣するが、毒殺されている(今古独語)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 
勝興寺
しょうこうじ
富山県高岡市伏木古国府(ふしきここくふ)にある浄土真宗本願寺派の別格寺。雲龍山(うんりゅうざん)と号する。寺伝では、親鸞(しんらん)配流のとき、弟子の善空房信念(ぜんくうぼうしんねん)(順徳(じゅんとく)天皇の第3皇子)が開基したという。1471年(文明3)本願寺第8世蓮如(れんにょ)によって再興され、続いて第3子蓮乗(れんじょう)、第7子蓮誓(れんぜい)が住し、本寺同格の印章を下付され、また本山六院家の一に加えられた。戦乱のため堂宇は両三度にわたって灰燼(かいじん)に帰したが、1584年(天正12)守山城主神保安芸(じんぼあき)より現在地を寄付、再建されて今日に至った。本尊は阿弥陀如来(あみだにょらい)。寺宝に洛外図屏風(らくがいずびょうぶ)、日月図屏風などがある。
[森 章司]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
Sponserd by 
勝興寺【しょうこうじ】
富山県高岡(たかおか)市にある浄土真宗本願寺派の寺。寺地は古代の越中(えっちゅう)国府跡という。本願寺五代綽如(しゃくにょ)の外孫勝如(しょうにょ)が開いた土山(どやま)坊が前身。数度の移転後,安養寺村末友(すえとも)(現小矢部市)時代,一向一揆(いっこういっき)に活躍したが,1581年佐々成政(さっさなりまさ)の入部後,越中から逃亡。1586年現在地に復興された。1774年加賀金沢藩前田氏の援助で再建された本堂は重要文化財。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
Sponserd by 
勝興寺
富山県高岡市にある寺院。浄土真宗本願寺派。1471年、蓮如上人が現在の南砺市に開いた御坊が起源。1517年に寺号を得た。2度の移転を経て、1584年より現在地。本堂、唐門は国の重要文化財。
出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
Sponserd by 