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証如 しょうにょ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

証如 しょうにょ

1516-1554 戦国時代の僧。
永正(えいしょう)13年11月20日生まれ。円如の次男。大永(たいえい)5年浄土真宗本願寺10世をつぎ,九条尚経(ひさつね)の猶子となる。加賀一向一揆(いっこういっき)の内紛などに対処。天文(てんぶん)元年六角定頼と法華(ほっけ)宗徒に山科本願寺をやかれて大坂石山にうつり,教団組織を整備・強化した。天文23年8月13日死去。39歳。法名は光教。日記に「天文日記」。

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朝日日本歴史人物事典の解説

証如

没年:天文23.8.13(1554.9.9)
生年:永正13.11.20(1516.12.13)
戦国期の真宗の僧。本願寺10世で,教団の統制化を強め,集権的な宗主権を確立した人物。山城国(京都府)山科に生まれる。9世実如の次男円如と慶寿院(鎮永)の子。諱は光教,信受院と号す。大永5(1525)年継職。天文1(1532)年,山科本願寺が六角定頼,日蓮衆徒に焼き討ちされると,大坂石山坊舎に移り,堀で囲まれた寺内町を建設して戦乱に備えた。加賀荘園の回復命令をテコに権門勢家との関係を深めつつ官位を得て自らも権門化する一方,教団諸制度を整備して,直参坊主の掌握と地域教団編成を実現,本願寺法王国の宗主として君臨した。<著作>『天文日記』<参考文献>井上鋭夫『一向一揆の研究』

(草野顕之)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の証如の言及

【一向一揆】より

…その結果,本願寺は強力な宗教基盤を北陸に確立し(門徒領国),北陸に荘園を持つ中央の貴族,武家,寺社にとって無視できなくなり,中央における政治的地位が著しく高まった。
[第2期――16世紀前半(法主実如・証如)]
 蓮如の継嗣本願寺9世の実如は,幕府管領で畿内政権を掌握した細川政元を本願寺の外護者と見たて,これと結んで畿内の教線の拡張をはかった。1505年(永正2)永正の乱がおこると実如は,政元の要請にこたえて畠山義英の守る河内誉田(こんだ)城攻めの動員を指令した。…

【本願寺】より

…のちの石山本願寺である。 1532年(天文1)山科本願寺が細川晴元との争いで焼かれ,10世証如は本拠を大坂に移した。この時代は相争う戦国大名間にあって,社会的勢力として成長した教団存続のため,大名化した立場で寺の運営を図り,石山本願寺には寺内町ができ,自治組織が整備された。…

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