日本歴史地名大系 「行永村」の解説 行永村ゆきながむら 京都府:舞鶴市池之内地区行永村[現在地名]舞鶴市字行永・行永東町(ひがしまち)・七条中町(しちじようなかまち)・倉梯(くらはし)町・倉梯中町(なかまち)・金屋(かなや)町・北浜(きたはま)町・南浜町・八反田北町(はつたんだきたまち)・八反田南町(みなみまち)与保呂(よほろ)谷の谷口集落で、与保呂川の沖積平野に派生する丘陵上に位置する。小字名に下深田(しもふかだ)などその地形をしのばせるものがある。伝承によれば行永は一時、幸野(ゆきの)村といって小字池(いけ)の部(べ)および椿谷(つばきだに)に集落をつくっていたが、大永年間(一五二一―二八)古名行永に戻したという。小字池の部に土豪池部重房の屋敷跡があったといわれる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by