日本大百科全書(ニッポニカ) 「袖ケ浦」の意味・わかりやすい解説
袖ケ浦(市)
そでがうら
千葉県中西部の市。1955年(昭和30)昭和町と長浦村および根形(ねがた)村の一部が合併して袖ケ浦町が成立。1971年平川町と合併。1991年(平成3)市制施行。地名は、東京湾に袖のように突き出た地形によるともいわれている。海岸部をJR内房(うちぼう)線と国道16号が並行して走り、中央部を館山(たてやま)自動車道が縦断する。南の木更津(きさらづ)市との境界付近を東京湾横断道路(アクアライン)連絡道が通り、袖ケ浦インターチェンジで国道16号(袖ケ浦木更津バイパス)と結んでいる。南部はJR久留里(くるり)線と国道409号が併走し、また首都圏中央連絡自動車道(圏央道)も通じる。戦国時代、武田氏、里見氏の領有を経て、江戸時代には幕府直轄地、旗本領となった。小櫃(おびつ)川流域での米作と内陸部での野菜、畜産のほか、東京湾岸では1974年に漁業権が放棄されるまでノリ養殖が盛んで、種苗の生産地でもあった。地先海面は広大な埋立て工業用地となり、火力発電所や石油化学工場などが操業しており、工業生産額が高められた。国道16号沿いから台地部にかけて大規模な住宅地開発が進んだ。坂戸神社の社叢(しゃそう)は東京湾岸の貴重な森で県指定天然記念物であるほか、上総(かずさ)掘りの技術は国指定重要無形民俗文化財に指定されている。面積94.93平方キロメートル、人口6万3883(2020)。
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