袰綿村(読み)ほろわたむら

日本歴史地名大系 「袰綿村」の解説

袰綿村
ほろわたむら

[現在地名]岩泉町袰綿

二升石にしよういし村の西に位置。南北に細長く、ほぼ中央を小本おもと川の支流川が大きく蛇行して流れる。小本街道が通る。年未詳八月二二日の信家書状(弘前松野文書)に「保呂綿」とみえる。袰綿氏の譜(参考諸家系図)によれば北畠具氏が天文(一五三二―五五)の頃陸奥波岡なみおか(現青森県南津軽郡浪岡町)から当地に居を移しており、その子直顕のとき袰綿氏に改め、南部信直から当村、松山まつやま(現宮古市)に四〇〇石を与えられている。顕吉のとき陸奥三戸郡と替地となるが、寛文五年(一六六五)百姓たちが連署して願出、再び当村に一五〇石を与えられ、延宝七年(一六七九)には改高二六石余を加えられている。正徳元年(一七一一)顕昌は新田改高七三石余を受けており、同年本田二五石・新田二五石、合せて五〇石を大叔父包顕に分知している(以上同系図)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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