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西南夷 せいなんいXī nán yí

世界大百科事典 第2版の解説

せいなんい【西南夷 Xī nán yí】

中国古代に今の四川省南部から雲南・貴州両省を中心に居住していた非民族の総称。チベット(蔵),タイ(傣),ミヤオ(苗)などの諸民族に属する。(てん),雟(すい),哀郎,冉駹(ぜんもう),邛(きよう),筰(さく)など数多く,それぞれがいくつもの部族に分かれ,習俗,言語を異にした。四川省から西南夷を介してビルマからインドへ,また南越番禺(広州市)へと交通路が通じていて,文物の交流に重要な役割を果たした。

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世界大百科事典内の西南夷の言及

【イ族(彝族)】より

… イ族の原郷はチベット東方の山岳にあり,広義の羌(きよう)族の分派と考えられる。古くは漢代に現れた西南夷にその歴史的系譜をたどりうるが,3世紀以降その末裔は四川雲南地方に南下し,各地に分岐した。北方から徐々に南下したこれらイ語系種族集団(烏蛮(うばん))は,それまでその地に先住し勢力を有していた白蛮(広義のタイ系諸族)と対立抗争を繰り返した。…

【雲南[省]】より

…ただ,この時期や荘蹻の身分については検討の余地がある。秦・漢では雲南をはじめ貴州・四川西南地域の夜郎や昆明などの部族を〈西南夷〉とよんだ。《史記》西南夷伝には,彼らはみな氐(てい)の類だとあるが,氐のほか百越,百僕の族群が考えられる。…

【貴州[省]】より

…戦国時代貴州には郢(えい)を拠点とする楚の黔中(けんちゆう)が東部にあり,貴陽付近や西部,北部では且蘭(しよらん)や夜郎などが支配していた。秦・漢になると彼らは〈西南夷〉とよばれ《史記》西南夷伝には先秦時代の西南夷の部族はみな氐(てい)の類なりとあり,多くは氐羌(ていきよう)族系の少数民族が居住するところであった。秦には黔中郡がおかれ,漢代には益州,荆州にかわり,武陵郡や牂牁(しようか)郡が設けられた。…

※「西南夷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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