日本歴史地名大系 「西宇喜田村」の解説 西宇喜田村にしうきたむら 東京都:江戸川区西宇喜田村[現在地名]江戸川区宇喜田町・北葛西(きたかさい)一―五丁目・中葛西(なかかさい)一―四丁目・西葛西(にしかさい)三―五丁目東宇喜田村の西に位置。東は同村のほか二之江(にのえ)村・桑川(くわがわ)村・長島(ながしま)村にも接し、西は西一之江(にしいちのえ)村の飛地。北は船堀(ふなぼり)川(現新川)を挟み船堀村、南は海に面する。田園簿には東宇喜田村と合せて宇喜(うき)新田とみえる。元禄郷帳では東西に分れ、西宇喜田村の高九五三石余。天保郷帳・旧高旧領取調帳では再び宇喜田村一村で高付されている。「風土記稿」によれば家数二一〇。用水は船堀川から引いた。享和二年(一八〇二)名主の伊左衛門宅が御膳所に指定された(同書)。嘉永六年(一八五三)の笹ヶ崎村異国船一件御用留(須原家文書)では、東宇喜田村とならんで台場普請用の明き俵納入に応じている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by