法蓮寺(読み)ほうれんじ

日本歴史地名大系 「法蓮寺」の解説

法蓮寺
ほうれんじ

[現在地名]小野田市大字西高泊

西高泊にしたかとまりの丘陵部で、東に高泊開作を望む烏帽子岩えぼしいわの丘にある。浄土真宗本願寺派で杉谷山と号し、本尊阿弥陀如来

「寺社由来」によれば、もと大内家の家臣藤村彦右衛門尉政俊が豊前国長久ちようきゆう(現福岡県豊前市)弟子となり、法名教道をもらい天文年中(一五三二―五五)美祢みね郡の杉谷すぎたに(現美祢市)に草庵を結んだのに始まる。


法蓮寺
ほうれんじ

[現在地名]八王子市川口町

河口山宝地院と号する。本尊阿弥陀如来、観音・勢至両菩薩。時宗。嘉元二年(一三〇四)清浄光しようじようこう(通称遊行寺、現神奈川県藤沢市)二世他阿真教の開山と伝える。天正一九年(一五九一)朱印一〇石の地を寄進された(御朱印帳)。江戸中期の阿弥陀三尊立像・木造中尊像・脇侍像のほか、一遍立像(室町期から江戸時代)、真教坐像(室町期)がある。


法蓮寺
ほうれんじ

[現在地名]十和田市洞内 前田

池福山と号し、曹洞宗。本尊は釈迦如来。藩政期末のものと思われる南部領寺社鑑写(岩手県盛岡市中央公民館蔵)に「(無禄) 常光寺末寺五戸洞内村 地福山法蓮寺」とある。所伝によれば寛元三年(一二四五)法身(心)性西により開山されたが、天文八年(一五三九)廃寺となった。承応元年(一六五二)野辺地代官の日戸五兵衛直秀が野辺地のへじ(現上北郡野辺地町)常光じようこう寺四世玉淵天雪を請じて現在地に再建、同時に臨済宗から曹洞宗に改宗したという。


法蓮寺
ほうれんじ

[現在地名]唐津市十人町

十人じゆうにん町の西部にある。日蓮宗、高城山と号す。日親の弟子八幡坊日解が正長元年(一四二八)石志いしし村に寺院を開き、日親を開山とした。藩主が大久保加賀守の頃現在地に移った。波多氏ゆかりの寺で、大久保家菩提寺の一つである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典・日本の観光資源 「法蓮寺」の解説

法蓮寺

(東京都品川区)
しながわ百景指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

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