西宮砲台跡(読み)にしのみやほうだいあと

日本歴史地名大系 「西宮砲台跡」の解説

西宮砲台跡
にしのみやほうだいあと

[現在地名]西宮市西波止町

しゆく川河口左岸にある。幕末動乱期に外敵に対する京都保全の必要から摂海防備が叫ばれたときに築造された砲台の一。今津いまづ砲台とともに勝海舟が砲台建設地の実地調査の任にあたった。文久三年(一八六三)に着工し慶応二年(一八六六)に完成。石造三層の円堡で内径一七メートル・高さ一二メートル。一階床は叩土で、中央に井戸を掘り、弾薬庫を設け、二階は板敷側面に砲眼一一個と窓一個を開け、大砲二門を据えて筒口を四方に向ける構造であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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