日本大百科全書(ニッポニカ) 「西山大師」の意味・わかりやすい解説
西山大師
せいざんだいし
(1520―1604)
朝鮮、李朝(りちょう)の僧。号は清虚。僧名は休静。儒教を国教とする李朝政府や儒学者による仏教圧迫に対し、儒教・仏教・道教は教義の究極的目標で一致しているとする三教合一論を唱え、仏教界の統一を主張し、李朝仏教中興の祖といわれた。壬辰倭乱(じんしんわらん)(豊臣秀吉(とよとみひでよし)の朝鮮出兵)の勃発(ぼっぱつ)に際し、高齢にもかかわらず、門徒1500人を招集し、僧軍を組織して国難にあたり、国王から最高僧職の八道一六宗都総摂に任ぜられた。初め平安南道順安の法興寺に布陣、呼びかけ文を全国の寺院に発し、弟子の処英、惟政(いせい)(1543―1610)らとともに、全国各地の義挙僧軍5000人を率いて日本の侵略軍と戦ったが、のち僧軍の指揮を弟子にゆだね隠退した。僧軍は平壌、開城の奪回に功績をあげたほか、各地の戦闘に参加、壬辰倭乱の勝利に大きく貢献した。全羅南道海南の大興寺には西山大師を祀(まつ)った表忠祠(ひょうちゅうし)や遺物館などがある。
[矢澤康祐 2017年2月16日]