西広瀬村
にしひろせむら
[現在地名]豊田市西広瀬町
矢作川と飯野川の合流点に形成された村。松嶺から東西両広瀬にかけての標高二〇〇メートル余の山頂部には、瀬戸陶土層や矢田川累層の砂礫層がみられる。矢作川に沿った急峻な山頂に、大城崩・小城崩の地名があり、東広瀬を根拠地とした三宅氏の居城跡と伝えられる。「三河国西加茂郡誌」によれば、天文一二年(一五四三)西広瀬城に佐久間九郎左衛門全孝が居城し、同一八年「同九郎左衛門片目弥八ヲ岡崎ニ遣シ広忠ヲ弑シテ父ノ仇ヲ復ス」という。松平広忠の死を契機に今川義元は西三河を制圧する。佐久間全孝は、織田信秀の三河侵入の一翼として西広瀬城にあったと推定される(豊田市史)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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