西新庄村(読み)にししんじようむら

日本歴史地名大系 「西新庄村」の解説

西新庄村
にししんじようむら

[現在地名]佐賀市鍋島町なべしままち大字森田もりた字西新庄

現佐賀市の西北に位置し、嘉瀬かせ川の堤防で西北を限られ、東は鍋島なべしま村・東新庄村、南は江里えり村と江頭えがしら村に接する水田地域。

古代条里制では佐賀郡の条里の一四条に位置すると考えられ、西新庄には中ノ坪などの地名が残る。正応五年(一二九二)の「惣田数注文」(河上神社文書)にみえる与賀新よかのしん庄は西新庄・東新庄の地域だと考えられる。

中世は八戸宗暘の領地であったが、弘治四年(一五五八)宗暘は竜造寺隆信の勢力下に入った。

藩政期、佐賀本藩の蔵入地となり、慶長絵図に「新庄」、正保絵図に村名がみえる。嘉永六年(一八五三)写の大小配分石高帳に「美麗中」の物成二六石七斗八升六合の地米(年貢)が記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android