雨を降らすための呪術(じゅじゅつ)宗教的な儀礼。雨乞いの儀礼は狩猟民、牧畜民、農耕民を問わず世界各地でみられるが、もちろん多雨地帯ではまれで、熱帯乾燥地域でとくに盛んであり、多雨地域では逆に日乞いの儀礼が行われる。雨乞いは宗教儀礼のなかでも重要なものであるため、雨乞い師とよばれる専門家がいたり、しばしば王、首長、長老などが雨乞い儀礼を行う。オーストラリア中部の先住民には、たとえばアランダのように水をトーテムとする集団をもつ部族がある。
雨乞いの方法はさまざまであるが、水(雨)をつかさどる神にひたすら請願する受動的な方法と、人間が降雨をコントロールしようとする能動的な方法とに大別できる。神に祈願する場合は、たとえばアフリカではウシ、ヤギなどの動物供犠(くぎ)を伴う。メキシコのマヤ語系インディオのチャムラ村では毎年5月3日に各集落ごとに雨乞いの儀礼を行う。教会、湖、洞穴などにある十字架の前で呪医(じゅい)(病気治療を行う宗教的職能者であるが雨乞い師でもある)が、ろうそく、香(こう)を捧(ささ)げて神に祈る。十字架は神と人間を媒介するものであり、ろうそくと香の煙は天に上って祈りのことばを神に伝えてくれる。彼らにとって天の神とは、太陽であると同時にキリストでもあり、また村の守護聖人とも同一視されるが、直接水を支配しているのは、神に従属している洞穴や水辺に住む天使(アンヘル)であると考えている。
古代メキシコのアステカでは人身供犠を行って神に雨を祈った。第五の月にトウモロコシの種まきをするが、その前の4か月(1か月は20日)に雨乞い儀礼が行われた。頭につむじが二つある幼児が多数集められ、山の頂上や湖で殺し、心臓を取り出した。いけにえに連れていくとき子供が泣くと雨が多いことの前兆だとして喜ばれた。つむじが二つある子供が選ばれるのは、つむじが渦や竜巻を連想させ、雨の神に捧げるものとしてもっとも適していたからである。いけにえを捧げる対象は雨の神であるトラロックの神々、その姉である雨の女神チャルチウトリクエ、雨雲を先導する風の神ケツァルコアトルであった。
古代ギリシアやローマでも雨をつかさどるゼウスやジュピターに祈った。また単に祈るだけでなく、雨乞い踊りを踊って神に願う場合も多い。北アメリカの平原インディアンが行う太陽踊りの重要な目的の一つは雨乞いであり、参加者は数日間水を飲まず踊ることによって雨を祈るのである。
人間が雨をコントロールしようとする方法はいくつもある。その一つは、神や神聖視されているものを冒涜(ぼうとく)したり困らせて雨を強要する方法である。メキシコの農民の間では教会の聖人像を外に持ち出し、衣服を脱がせ、畑に放置して照りつける太陽にさらして雨を強制することがある。タイでは仏像を同じようにする。逆に神像を水づけにする方法もミャンマー(ビルマ)のシャン人やヨーロッパなどでみられる。
フレーザーの分類で類感(模倣)呪術とよばれる方法も広く行われる。水を振りまいて雨をまねたり、火をたき煙をたてて雨雲を表し、雷を連想させる音をたてるなどして実際の雨を誘う。オーストラリア中部の先住民カイティッシュの社会では首長が雨乞いを行う決まった場所に行き、2人の老人に赤土を塗って虹(にじ)が出る石を表させ、自分の体や盾に虹を描き、盾にはさらに稲妻を表す白いジグザグの線をかく。そして歌いながら自分と老人たちに水を振りかける。家へ戻ってからは、ときどき、水を入れた容器に雲を象徴する鳥の綿毛を投げ入れる。首長の妻は雨を連想させる鳥の鳴き声をまねる。水を振りまく方法はとくに広く行われ、また火を燃やす方法はたとえば朝鮮にあり、山頂で火をたく。アフリカでも雨と結び付く植物の葉を焼く雨乞い方法がよく行われる。大きな音をたてることは中国でもよくみられ、ドラを鳴らし爆竹を放つ。ブルロアラー(うなり板)を使って異様な音を出すことがオーストラリア、アフリカ、中央アメリカなどで行われる。アメリカ合衆国南西部の先住民ズニの社会では手伝いの者が水と粉を混ぜて泡(雲を象徴する)立てている間、雨乞い師がブルロアラーをぐるぐる回し続ける。
そのほか、雨を呼び寄せる力をもつと信じられているものを使う。カエルはとくに各地で用いられ、たとえばインドではカエルに水をかける。石もまた雨を招く呪力をもつとされる。サモアでは雨を降らせる神を表す石を川に持って行って水に浸して雨を祈り、逆に大雨のときには火のそばに置く。似たことがかつてフランスで聖人像を使って行われた。南スーダンのアザンデ人は雨を呼ぶ呪薬を使う。
[板橋作美]
日本の雨乞いはさまざまの変異があるが、その方法にはほぼ5種類の類型がある。それは、(1)山頂で火をたく型、(2)踊りで神意を慰め雨を乞う型、(3)神社、神(仏)像、滝つぼなど、神聖なものに対する禁忌を犯し、神(仏)を怒らせて降雨を強請する型、(4)神社に参籠(さんろう)し降雨を祈願する型、(5)神社や滝つぼなどの聖地から霊験ある神水をもらってきて耕地にまく型、である。
(1)の型は、山頂で火を燃やしながら、鉦(かね)や太鼓(たいこ)をたたき大騒ぎをするのである。たとえば岐阜県高山市の近郊では、雨乞いは以前、綿山(わたやま)という山で行うのが慣例であった。山頂には雨乞い小屋も建っており、その一隅に石が神体として祀(まつ)ってある。その前で盛大に火をたき、笛を吹き、太鼓をたたきながら、雨の降るまで泊り込むのを常とした。この型の雨乞いは、岩手、長野、岐阜、愛知、奈良、大阪、和歌山、京都、鳥取、高知、長崎の諸府県にみられ、五つの類型中ではもっとも広い分布を示している。山頂へ登ったり、薪(まき)を運び上げたりするのは相当の労働で、そのため場所を池の端、祠(ほこら)の前、あるいは神社の境内などに移したと思われる例も散見する。この方法に類する雨乞いは韓国(大韓民国)の全羅北道や慶尚南道を中心とした諸地域でもみられる。
(2)の型は、唄(うた)や踊りで神意を慰め神に降雨を懇請する型である。(1)の型ほど広い分布はもたず、福井、岐阜、三重、滋賀、奈良、和歌山などの近畿を中心とする地域に固まり、さらにまた島根、愛媛県に散発的に分布している。この雨乞いの一つの例をあげると、和歌山県の有田(ありだ)郡八幡(やはた)村(現有田川町)という所では、神社の境内で「これほどの ひでりゆくのに 雨乞い踊りを始めて氏神前の白洲(しらす)にて 皆立ち寄りて踊れども 神の威徳はまだ見えぬ」とはやしながら踊ったという。こうした踊りは隊伍(たいご)を整えて村中を練り歩くことが多かった。
(3)の型は、普段は神聖視されているものを冒涜(ぼうとく)して神を怒らせ、強制的に雨を降らせようとするものである。たとえば兵庫県姫路市の夢前(ゆめさき)川の水源地方の例をみると、ここを亀ヶ淵(かめがふち)といい、昔からこの淵を汚すときはかならず降雨があると信じられていた。そこで、天候の異常に農民同様に敏感であった相場師や投資業者が、牛馬の内臓をここに投げ込んで天候の荒れるのを待ったことがあった。村民はこの淵が故意に汚されるのを防ぐために、干天の日などは村で見張りをたてたほどであったという。禁忌を破るやり方はさまざまで、地蔵を縄で縛り上げて川につけ、打ったり、たたいたりする例もあるし、神社にいたずらしたりする。(3)の型の雨乞いは、青森、秋田、福島、長野、岐阜、和歌山、兵庫の各県でみられる。冒涜とか暴力に訴えて超自然物に降雨を強制する雨乞いは世界の各地で行われている。たとえば、タイでは干天時に仏に不自由を思い知らすために、仏像を野天に置いて、燃える太陽にさらす。フランスでは聖者の像を水に浸し、また東南アジア大陸部のシャン人でも干魃(かんばつ)で稲が枯れかかると仏像を水づけにしたという。
(4)の型は、山へも登らず火もたかずに、神社に参籠して夜を徹して神に祈願する型である。「参籠」というのは、雨乞いだけに限らず祈願一般に広く行われるが、雨乞いの場合には、祈請の仕方にきわめて積極的な面がある。たとえば、静岡県榛原(はいばら)町勝間田(かつまた)(現牧之原市)では「立ち待ち」ということが行われた。それは、氏子が氏神の西山神社に詰め、1人ずつ神前に立って昼夜一睡もせず、降雨を強請する一方、釣鐘を打ち鳴らしたのである。この型の雨乞いの準備または参籠そのものには、単に村人だけでなく山伏(やまぶし)とか法印(ほういん)のような専門職の者が関与した例が多い。
(5)の型は、水をまいて歩く型である。この型には、とくに霊験あると評判のある場所の霊水をもらってきてまくのがある。たとえば群馬県や埼玉県では、水戸の雷神(らいじん)様まで御神水を受けに行き、帰る足を休めるとそこで雨が降ってしまうので休まず帰村した所があるという。この型の雨乞いは、水を振りまけばそれと似た現象(降雨)がおこると信じたわけで、明らかに類感呪術的である。これらは福島、群馬、埼玉、長野、岐阜、奈良県や東京都などで認められる。この型の雨乞いも世界各地で行われており、ロシア、北アメリカ、北オーストラリア、インドネシアのハルマヘラ島、ニュー・ブリテン島などにみられる。
以上五つの類型の雨乞いのほか、非常に奇想天外な雨乞いが局地的にみられる。たとえば、女が相撲をとったり(秋田県)、からの葬式を出したり(秋田県)、柱の先端から張り渡した綱をカエルに扮(ふん)した男が伝わって降りたり(千葉県)、各戸1丁ずつ硯(すずり)を出して川で洗ったり(山口県)というぐあいで、さまざまである。この種の奇抜なもののほか、前記五つの類型が変形したり、結合したとみられるものもかなり多く、この五つの雨乞いが日本の雨乞いを代表するものとみられる。
[杉山晃一]
『高谷重夫著『雨乞習俗の研究』(1982・法政大学出版局)』▽『任章赫著『祈雨祭――雨乞い儀礼の韓日比較民俗学的研究』(2001・岩田書院)』▽『籔元晶著『雨乞儀礼の成立と展開』(2002・岩田書院)』
降雨を祈願する呪術・宗教的な行為。降雨を祈願するために,水や煙,鉦(かね)などがひろく用いられているが,それは水が降雨,煙が雨雲,鉦の音が雷鳴を象徴するからで,このことは,雨乞いが似たものは似たものを生むという類似の原理にもとづいた類感呪術であることを物語っている。雨に生活を依存するアフリカの牧畜民や農民のあいだでは,降雨をつかさどる雨乞師の社会的地位が高い。ロベドゥ族(南アフリカ)の女王は,政治的な首長であると同時に,神から任命されて最高の位についた雨乞師でもある。この女王には補佐役の雨乞師が従っていて,雨を降らせる最高の権限は女王に与えられ,女王の気分の良し悪しが天候に影響し,女王が死ぬとかならず旱魃(かんばつ)が訪れるという。スーダンや南アフリカの雨乞師たちは特別な階層をつくり,ほかの人々よりも強大な権力と権威とを身につけている。しかし,こうした雨乞師たちも,神と一般の人々との仲介者にすぎず,神だけが雨を〈作る〉と信じられ,雨乞いのために,神に犠牲を捧げ祈願する。カンバ族(ケニア)はかつて雨乞いのために子どもを生埋めにしたり,犠牲として殺したという。また雨乞いの儀式には,雨石とか雨の葉などの神聖な事物が用いられる。雨石とはまれにしか見つからない石や空から落ちてきた石のことで,ウドゥク族(スーダン)の雨乞師は,赤と白,青の雨石を使って降雨の祈願をする。雨の葉は特定の木の葉で,この葉を燃やすと,立ちのぼる煙が雨をとらえて降らせるからだという。水もまた雨乞いにしばしば用いられる。儀式がおこなわれる場所や群衆に水を振りかけるほか,聖なる泉の湧き水を汲んだり,汗を集めて空中に散布したりする。こうした水はいずれも降雨を象徴している。コマ族(スーダン,エチオピア)の雨乞師はふだん洞穴に住み,水をまぜた乳を飲んでいる。雨乞いの儀式はその洞穴でおこなわれ,人々が雨乞師に贈りものを用意して,行列をつくって洞穴に出かけると,雨乞師は,そこで皮袋に満たした水を群衆の前で飲みほして降雨を祈願する。アメリカ・インディアンのズニ族は,降雨を祈願するとき草木を焼いて煙を立てるが,その際,雨乞師は地面に水をまく。またトウモロコシが30cmほどに生長すると,女たちは聖なる踊りをはじめるが,男たちはタバコの煙を水の入った容器やトウモロコシの茎に吹きかける。タバコの煙も類似の原理によるもので,雨雲を象徴している。同じアメリカ・インディアンのナバホ族は,ひでりがひどくなると呪術師を招いて雨乞いの祈願をしてもらう。数家族が灌木の枝でつくった小屋に集まり,呪術師はそこで雨と緑のトウモロコシの畑を象徴した2本の杖をもって祈禱をおこなう。インドネシアのハルマヘラ島では,雨乞いのときに呪術師は特定の木の枝を束にし,これにむかって呪文を唱えたり,またその束に水を含ませて地上にまく。スラウェシ(セレベス島)の中部に住むトラジャ族は,雨乞いの際,女性呪術師に祈ってもらうが,彼女は時々水牛を川に追い込んで水をはねさせる。ジャワ島の東にあるフロレス島では,雨乞いのために太鼓をうって雷鳴を呼びよせる。フロレス島の近くのサブ島では,ひでりがつづくと,人々は雷神や雨神,風神に降雨を祈願して,黒い豚や黒い羊,黒い鶏を供えるが,黒は雨雲を象徴したものであろう。ボルネオ島の北部では長く雨が降らないと,家々から女性が米を籠に盛り,その上に鶏卵を一つのせて川のほとりに集まる。女性呪術師は呪文を唱えて,それぞれの籠からすこしの米と鶏卵を取り出して川に投げ込み,川の霊に降雨の祈願をする。マレー半島やスマトラ島,ジャワ島の一部では,猫を水につけると雨が降ると伝えられている。
日本の雨乞いには,鉦や太鼓をうちならし,念仏踊などをして,ひでりをもたらした邪霊を追い散らす雨乞踊のほかに,千焚き,千駄焚きといって,山上に薪をたくさん積み上げ,火を焚いて騒いだり,水神が住むと伝える池や泉の水をもらいうけ,これを氏神や水源地にまいたりする型がある。また百升洗いといって,升をたくさんあつめて,これを水神が住む池で洗ったりすることもある。かつて,牛や馬の首を水神が住むという滝壺に沈めて,雨乞いがおこなわれたこともあったが,この風習は,汚いことをきらう水神をおこらせると,水神があばれて雨を降らせるという信仰によるものであった。雨乞いの祈願にしばしば人形が用いられるが,これは人形に降雨をさまたげる邪霊を追いはらう呪的な力がひそんでいると考えられていたことによる。また,雨乞いのために霊石が用いられたこともある。雨乞石と呼ばれる牛の形をした石の,鼻にあたる部分の穴に綱をとおして引くと雨が降ったとか,雨地蔵と呼ばれる石の地蔵を綱でしばり,これを淵に沈めておくと雨が降ったという伝承が各地にみられる。
→雷
執筆者:伊藤 幹治
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…創建年代不詳。丹生の川上にあって,古くより水神,雨師神,雨乞いの神として信仰され,763年(天平宝字7)より応仁の乱ころまでに,朝廷の祈雨・止雨の祈願約100回が記録されており,平安時代には京都の貴船神社とともに,祈雨には黒馬を献じ,止雨には白馬を献じて祈願されるのを例とした。773年(宝亀4)封戸4烟を寄せられ,818年(弘仁9)従五位下,897年(寛平9)従二位に叙され,延喜の制で名神大社,月次,新嘗の官幣をうけ,平安末期には二十二社の一とされた。…
… これらはそれぞれ水にまつわって鐘の霊異と関連し,水神の祭事場を暗示する伝説といえる。また雨乞いの際,池沼に鐘を投ずることは,各地で実際に行われていた。鐘は神聖な法具として尊ばれ,鐘声は聞く者に神秘な響きを与えるとともに,仏を喜ばせ魔を払うものと信じられた。…
…〈環〉は〈還〉で,旅人の無事帰還を祈る意味とされているが,実際には日本の魂(たま)むすびの古俗と同じく,旅人が旅に疲れて魂を失散させないよう,しっかりとつなぎとめる意味であった。柳は水に縁があるので雨乞いにも用いられた。観音菩薩は柳の枝で浄瓶(じようびよう)の水をまき雨を降らせるので〈楊柳観音〉の称があり,また民間の雨乞習俗でも,百姓が柳の輪を頭にいただいて水源に水を取りにいくことが行われた。…
…河竜王は河水の調節をし,海竜王は津波や潮を起こすともいわれ,漁村では海上の守護神ともされた。かつてはいたるところに竜王廟があり,または関帝廟,土地廟に合祀され,古来農村では雨乞いの対象であった。一般に雨乞いは村共同で竜王に祈願し,竜王の木や泥の像か位牌をかついで練り歩き,竜が住むとされる河辺,池,井泉に詣でた。…
※「雨乞い」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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