朝日日本歴史人物事典 「西村太沖」の解説
西村太沖
生年:明和4(1767)
江戸中期の暦算家。越中国(富山県)礪波郡城端の商家に生まれ,若くして天文暦学に志し,食うために医術を修業しに京都へ出た。京都の暦算家西村遠里門下に入り,その伝を得たが,師が没したとき門下一同に推されてその跡取りとなり,西村太沖と名乗った。時に21歳。さらに新しい天文学を修めようとして大坂の麻田剛立 に学び,門下の四天王の一といわれた。33歳のとき,加賀藩に迎えられて,天学を講じたが,殿様は暦学という科学的な小技よりも,天下国家を占う天文を期待するので,嫌気がさして故郷に帰り,医をひさいだ。のち,55歳にして再び藩に迎えられ,金沢の地図製作などに従事した。
(中山茂)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報