西村太沖(読み)にしむら・たちゅう

朝日日本歴史人物事典 「西村太沖」の解説

西村太沖

没年:天保6.5.21(1835.6.16)
生年:明和4(1767)
江戸中期の暦算家。越中国(富山県)礪波郡城端の商家に生まれ,若くして天文暦学に志し,食うために医術を修業しに京都へ出た。京都の暦算家西村遠里門下に入り,その伝を得たが,師が没したとき門下一同に推されてその跡取りとなり,西村太沖と名乗った。時に21歳。さらに新しい天文学を修めようとして大坂麻田剛立 に学び,門下の四天王の一といわれた。33歳のとき,加賀藩に迎えられて,天学を講じたが,殿様は暦学という科学的な小技よりも,天下国家を占う天文を期待するので,嫌気がさして故郷に帰り,医をひさいだ。のち,55歳にして再び藩に迎えられ,金沢の地図製作などに従事した。

(中山茂)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西村太沖」の解説

西村太沖 にしむら-たちゅう

1767-1835 江戸時代後期の暦算家。
明和4年生まれ。京都の西村遠里(とおさと)にまなび,その姓をつぐ。さらに大坂の麻田剛立(ごうりゅう)につき,のち加賀金沢藩の藩校明倫堂で天文学をおしえた。天保(てんぽう)6年5月21日死去。69歳。越中(富山県)出身。本姓は蓑谷。名は篤行。字(あざな)は審之。号は得一館。編著に「実符暦」「符天暦」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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