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西村遠里 にしむら とおさと

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

西村遠里 にしむら-とおさと

1718-1787 江戸時代中期の暦算家。
享保(きょうほう)3年生まれ。池部清真(きよざね)に算学をまなび,暦学もおさめる。土御門泰邦(つちみかど-やすくに)のもとで宝暦の改暦にくわわるが,途中で辞任。宝暦13年9月1日の日食を予知した。天明7年死去。70歳。大和(奈良県)出身。字(あざな)は得一。通称は左衛門,千助。号は居行,得一堂。著作に「授時解」「天文俗談」など。

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(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

西村遠里

没年:天明7(1787)
生年:生年不詳
江戸中期の暦算家。京都の人で,天文家の土御門家に仕え,その指南番となる。あまり深みはないが大部の『授時解』その他多作の著述家で,『万国夢物語』『居行子』『天文俗談』『数学夜話』『天学指要』『遠里随筆』『本朝天文志』などの天文,数学にかぎらず一般知識人向けの随筆,学問論を残す。宝暦改暦に当たっては,将軍徳川吉宗の意図に従って,西洋天文学の成果を取り入れて,改暦をはかっていた江戸の天文方に対して,伝統的暦法によろうとした保守派の土御門一派を代表する立場に立ち,天文方の日食予測が当たらない点を指摘し,江戸側のプロジェクトを失敗させることになった。

(中山茂)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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大辞林 第三版の解説

にしむらとおさと【西村遠里】

1718?~1787?) 江戸中期の暦学者。京都の生まれ。名は遠里、字は得一、号は居行。民間における暦学の第一人者。宝暦の改暦事業にも参加。「授時暦解」「貞享暦解」は代表作。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

西村遠里
にしむらとおさと
(1718―1787)

江戸中期の暦学者で和学者。生国は大和(やまと)。京都に在住し、姓は藤原、左衛門または千介と称し、名は遠里、字(あざな)は得一、居行と号す。1752年(宝暦2)土御門泰邦(つちみかどやすくに)にあげられて宝暦(ほうれき)の改暦にかかわった。池部清真(きよざね)について数学を学び、山崎流の測量術にも通じた。暦算を初め幸徳井(こうとくい)(賀茂)保篤(やすあきら)(1702―1748)に学んだが、独学により当代一流の暦学者として知られるに至った。1763年9月朔(さく)の日食は官暦には記載されなかったが、遠里はあらかじめ4分半と推算したことは有名である。天文暦算、随筆など数十巻に及ぶ著書があるが、なかでも『授時解』『貞享(じょうきょう)解』はその代表作である。[渡辺敏夫]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
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