西林崎村(読み)にしはやざきむら

日本歴史地名大系 「西林崎村」の解説

西林崎村
にしはやざきむら

[現在地名]鈴鹿市林崎はやざき

一色いつしき村の南東南長太みなみなご村の西に位置する。もと鈴鹿川が分流していた頃の自然堤防上に営まれた集落であろう。「神鳳鈔」では奄芸あんげ郡に入っているが「林崎御厨河曲郡歟、三石」とある。「吾妻鏡」文治二年(一一八六)六月二九日条に「伊勢国林崎御厨事、為平家与党人家資跡、雖被加没官領注文、就大神宮訴申之、不可有地頭之旨、被下 院宣之間、今日有沙汰、所被止宇佐美平次実正知行也」とあり、林崎御厨がもと平家一味で元暦元年(一一八四)の関信兼の乱に加わった富田進士家資の所領であったので没収し、地頭として宇佐美実正を補任したところ、大神宮の訴えによって地頭を廃止することになった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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