箕田村(読み)みだむら

日本歴史地名大系 「箕田村」の解説

箕田村
みだむら

[現在地名]鴻巣市箕田・神明しんめい一丁目・赤見台あかみだい一―三丁目・稲荷町いなりちよう

宮前みやまえ村の北、大宮台地最北端にある。南東は鴻巣宿。中央を中山道が南東から北西へと通り、北端追分おいわけ行田へ向かいおし城下(現行田市)へ通じ、日光へ至る脇往還を分岐する。中山道の往還通の長さは片側三二町四四間、うち三〇町余に家並があり、もう片側は一四町一一間余、うち一二町余に家並がある。道幅は三間余。宮前村とまたがって一里塚があり、追分は立場となっていた(宿村大概帳)。北から北東への境を元荒川が流れる。建武二年(一三三五)二月一四日の右馬允政季打渡状(極楽寺文書)にみえる足立郡箕田郷の遺称地。

近世には足立郡忍領に属した(風土記稿)。寛永七年(一六三〇)検地帳(佐藤家文書)には「忍領箕田郷」とある。同一二年の忍領在々御普請役高辻帳(中村家文書)では高二千五三九石余、この数値にはのちの八幡田はちまんでん村分を含むと推定される。

箕田村
みだむら

[現在地名]勝山町箕田

長川ながわ村の南東、新町しんまち村の北東に位置し、長峡ながお川沿いの平野部に立地する。元和八年人畜改帳に村名がみえ、高七四五石余、家数七二・人数一一〇(うち百姓一一・名子二二)、牛一九・馬九。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報