西柳川小路(読み)にしやながわこうじ

日本歴史地名大系 「西柳川小路」の解説

西柳川小路
にしやながわこうじ

南半分の東側には寛文頃には六屋敷あったが、宝暦期には最南端に吉田少左衛門屋敷が作られて五屋敷となり、文政八年には八屋敷になり、東西の通りに面する屋敷一もみられる。通りに面する屋敷割は当時の面影を伝える。その西側は六屋敷並び、寛文頃には間口は約一九間から約一一間であるが、奥入はすべて約二〇間で、二、三百石から五〇〇石の知行取屋敷である。この形は宝暦三年までに大きく変化し、小笠原弥一左衛門の間口二三間・裏三〇間・奥入四三間の大屋敷が京町本丁から西柳川小路に及んで作られた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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