西浦賀分郷(読み)にしうらがぶんごう

日本歴史地名大系 「西浦賀分郷」の解説

西浦賀分郷
にしうらがぶんごう

[現在地名]横須賀市吉井よしい舟倉ふなくら町・久比里くびり一―二丁目・長瀬ながせ一―三丁目・西浦賀町六丁目・久里浜台くりはまだい一―二丁目

西浦賀村の西側にあり、文化八年(一八一一)平根ひらね台場設置と同時に西浦賀村より分村し、文政四年(一八二一)再び西浦賀村に属したが、その後も独立村として扱われることがあった。小字吉井に御林一ヵ所がある(文政八年「村明細帳」常福寺文書)沖合海鹿あしか島周辺の入会漁業権をめぐり、小名久比里は宝暦一二年(一七六二)、文政六年としばしば久里浜村争論を起こしている(「海鹿島漁場争論済口証文」県史九)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む