久里浜村(読み)くりはまむら

日本歴史地名大系 「久里浜村」の解説

久里浜村
くりはまむら

[現在地名]横須賀市久里浜一―九丁目・神明しんめい

三浦半島南西部久里浜湾に向いた平作ひらさく川河口の漁村八幡やわたと久里浜に分れ、合せて八幡久里浜村ともいう。

治承四年(一一八〇)八月の石橋いしばし(現小田原市)の合戦後、源氏方の三浦党は衣笠きぬがさ城を逃れたが、「平家物語」は「大介義明うたれ候ぬ。子共はくり浜の浦より船にのり、安房上総へわたり候ぬ」と伝える。「吾妻鏡」寿永元年(一一八二)八月一三日条によれば、源頼家誕生に際しての祝儀馬が「栗浜大明神」などに奉納された。小田原衆所領役帳に松田助六郎「百五十貫文 九里浜正木知行」、笠原佐渡買得「百四拾九貫百四十一文 栗浜」とある。天正八年(一五八〇)七月二三日の北条氏政判物写(県史三)によれば、年来の戦功と今般の大船一艘仕立によって「三浦郡栗浜百五拾貫文之地」が水軍梶原備前守に与えられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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