デジタル大辞泉
「横須賀市」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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横須賀市
よこすかし
〔原始〕
縄文時代の遺跡として早期遺跡には夏島貝塚・平坂貝塚・茅山貝塚・田戸遺跡があり、早期から前期遺跡には吉井貝塚が、前期遺跡に高坂貝塚がある。中期遺跡には江戸坂貝塚・吉井貝塚・深田貝塚など、後期遺跡には榎戸貝塚などがある。夏島貝塚・田戸遺跡・茅山貝塚は土器型式の標式遺跡となっている。これらの遺跡はおもに東京湾口近くに位置する。弥生時代の遺跡は大別すると平作川流域・小田和湾沿岸地域・北下浦沿岸地域に分布する。鴨居の上ノ台遺跡の発掘調査が行われ、弥生中期から古墳時代にかけて集落が形成されていたこと、また多数の炭化米の発見と各種の漁具の出土から農耕と漁労にいそしんでいたことが実証された。また猿島洞穴などの調査から、この頃海岸部では海食洞穴を利用して季節的に漁労をしていた人々もいたとみられている。
北郷地区や田戸台・佐野・公郷・大津・吉井・佐原・久村・観音崎・鳥ヶ崎・千代ヶ崎・野比・林・佐島などに横穴古墳が数多く確認され、かなり多くの集落があったことが想像される。前方後円墳が池田町の大塚山と久里浜のこんぴら山などで発見されている。これらの古墳はいずれも平作川下流域に位置するため、古代の三浦半島の最有力者は古東海道に面した平作川下流域にいたとする見方もある。
〔古代〕
天平七年(七三五)閏一一月一〇日の相模国封戸租交易帳(正倉院文書)によると御浦郡にある走水郷は現在の走水よりもっと広域をさしたとみられ、走水は「古事記」や「日本書紀」にも記され、古代の東海道における三浦半島から房総半島への渡海地点であったと思われる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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横須賀〔市〕
よこすか
神奈川県南東部,三浦半島の主要部を占める中核市。東は東京湾,浦賀水道,西は相模湾にのぞむ。 1907年市制。 33年衣笠村,田浦村,37年久里浜村,43年浦賀,逗子,長井,大楠の4町と北下浦村,武山村をそれぞれ編入。須賀は砂州を指し,横に長く広がる地形が地名の由来とされる。三浦丘陵が市域の大部分を占め,平地は海岸と平作川の谷沿いに開ける。海岸は湾入が多く,東岸は東京湾の出入口にあたるため,横須賀港湾では長浦,小川,安浦,浦賀,久里浜などの港が発達している。浦賀と久里浜は江戸時代末に日本とアメリカの外交折衝の場となった。横須賀港および長浦港には慶応1 (1865) 年横須賀製鉄所が建設され,明治に入ると海軍鎮守府,海軍工廠もおかれるなど軍港として発展。第2次世界大戦までに東岸の全域および西岸の小田和湾一帯にわたって軍事施設が拡大され,市街も軍施設を中心に形成された。戦後軍施設の跡地に自動車,造船,化学などの重工業が発達,工業都市として発展している。アメリカ軍や自衛隊の施設も多い。市街地は東京湾沿いに延びるが,東京,横浜の衛星都市として背後の丘陵では宅地の造成が急速に進んでいる。南部と西部には自然が残り,大楠山,武山のハイキングコース,三浦海岸の海水浴場などがある。東端の観音崎は東京湾の展望がよく,釣りの適地。横須賀港の背後には史跡アダムズ (三浦按針) の墓を中心とした塚山公園,夏島貝塚 (史跡) ,平作川右岸の丘陵には中世豪族三浦氏の城址を中心とする衣笠公園がある。 JR横須賀線,京浜急行電鉄本線,久里浜線,国道 16号線,134号線が通り,横浜横須賀道路の横須賀,衣笠,佐原インターチェンジがある。面積 100.82km2。人口 38万8078(2020)。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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