西神明町
にししんめいちよう
東西に通る出水通を挟み、町の東は土屋町通。平安京内裏の「襲芳舎・凝華舎・飛香舎」などの跡地(「拾芥抄」の宮城指図)。
近世の聚楽第遺構では西南隅の水堀跡にあたる。町名は初め神明町の一部だった(→東神明町)。
明治維新前は上古京聚楽組の日暮組に属し、二七軒半役を負担。
町の南西にある桜宮神社について「京町鑑」(宝暦一二年刊)は「此町南側に日降太神宮と云社有、桜宮とも云、仍て俗にさくらの神明と云、神事五月六日」と記す。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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