日本歴史地名大系 「西福原村」の解説 西福原村にしふくばらむら 鳥取県:米子市西福原村[現在地名]米子市西福原・日(ひ)ノ出町(でちよう)一丁目東福原村の西にあり、西は米原(よねはら)村、北は美保(みほ)湾に面する。東福原とともに下福原と称され、享和三年(一八〇三)新田村として分立(藩史)、幕末以降西福原村と称されるようになった。幕末の六郡郷村生高竈付では生高五二二石余、竈数一〇五、免は四ツ。「伯耆志」の家数七八・人数四五四。当村は南部から北部海岸部へと開発されたが、地形的には南部と中部に砂質の微高地がほぼ東西に走り、その間は低湿地となっている。南部の上場谷(うわばだに)は尼子氏旧臣森田善太夫ほか数名が移住して開発したとされる(文政四年銘顕彰碑碑文など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報