西粟野村(読み)にしあわのむら

日本歴史地名大系 「西粟野村」の解説

西粟野村
にしあわのむら

[現在地名]岐阜市粟野西あわのにし粟野あわの

東粟野村の西に位置し、もとは同村と一村中世には粟野庄が成立していた。嘉永三年(一八五〇)の村絵図(河野家蔵)によれば、集落は(戸)川右岸の山沿いと、村南部の岩崎いわさき村境近くにあり、戸羽川左岸には入会田畑が多く、南北直線に西粟野用水が描かれる。村北西端に八幡社、村中央西端麓に南宮などが描かれる。正保郷帳に西粟野村とみえ、高七五七石余、うち田六一六石余・畑一二九石余・紙桑木高一石余・山年貢九石余、幕府領。宝永二年(一七〇五)高富藩領となり幕末に至る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android