日本大百科全書(ニッポニカ) 「西賀茂瓦窯址」の意味・わかりやすい解説
西賀茂瓦窯址
にしかもがようし
京都市北区西賀茂の角社(すみやしろ)(大将軍社)付近に所在する瓦窯址で、平安宮造営用の瓦(かわら)を生産した。付近には醍醐(だいご)の森瓦窯址、鎮守庵(ちんじゅあん)瓦窯址がある。この角社瓦窯址群は平安博物館によって調査された。その結果、有牀(ゆうしょう)式(ロストル式)平窯(ひらがま)4~5口を一群とする二群の操業が判明し、瓦文様などの研究から、この二つの瓦窯址群は835年(承和2)における政府木工(もく)寮の官瓦窯と考えられ、瓦生産の増加によって、指導者(造瓦長上工)の増員があった。この二群の瓦窯址の存在は古文献の記録と符合するところから、その後操業していた延喜(えんぎ)年間(901~923)の木工寮所属の小野(おの)・栗栖野(くるすの)両瓦屋(がおく)の前身と考えられる。
[大川 清]