デジタル大辞泉 「栗栖野」の意味・読み・例文・類語 くるすの【栗栖野】 山城国宇治郡山科村(今の京都市山科区)の地名。稲荷山の東麓にあたる。京都市北区の鷹峰たかがみねの東、西賀茂のあたりにあった地名。[歌枕]「春も見る氷室のわたり気を寒みこや―の雪のむら消え」〈経信集〉[補説]は現在「くりすの」と読む。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「栗栖野」の意味・読み・例文・類語 くるすの【栗栖野】 [ 一 ] 京都市北区鷹峰、西賀茂の付近にあった地名。古く皇室の狩猟場だった。御栗栖野(みくるすの)。[ 二 ] 京都市山科区南部の地名。稲荷山の東すそにあたる。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本歴史地名大系 「栗栖野」の解説 栗栖野くるすの 京都市:北区西賀茂村栗栖野鷹ヶ峰(たかがみね)の東、西賀茂(にしがも)の南一帯に広がる野。「和名抄」に「栗野久留須野」とあり、かつては栗野とも書いた。「類聚国史」には延暦一四年(七九五)一〇月二八日に「遊猟栗栖野」とみえ、以後六国史に北野(きたの)・紫(むらさきの)野などとともに遊猟地として現れるが、山科(やましな)の南、小栗栖(おぐるす)(現山科区)の地も栗栖野と称したことから、両地の混同がしばしばみられる。「源氏物語」の注釈書「花鳥余情」は「此物語にくるすの庄ちかゝらんといふ所は此所也、また宇治の郡にも小野栗栖野有、それをいふにあらず」と述べ、僧契仲は「くる須の小野と歌にみゆるは皆愛宕郡なるをよむ」と推断しており、文学や文献上での多くは当地と考えていいようである。 栗栖野くるすの 京都市:山科区栗栖野新田栗栖野山科盆地南西部、山科川と安祥寺(あんしようじ)川に挟まれた丘陵台地。「山城名勝志」に「栗栖野 従花山村至勧修寺辺曰栗栖野、今曰栗栖野原在花山南勧修寺北」、「山州名跡志」に「栗栖野 在南花山巳午ノ間二町許ニ、中ニ醍醐通ノ往還路アリ、按ルニ古ヨリ就テ栗栖野ニ異説アリ」、「都名所図会」に「栗栖小野ハ勧修寺より北花山のほとり辺の野をいふ」とあり、花山(かさん)から勧修寺(かんじゆじ)にかけての東山東麓の野を称した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
改訂新版 世界大百科事典 「栗栖野」の意味・わかりやすい解説 栗栖野 (くるすの) 京都市北区の歴史地名。北野・紫野などの平安京近郊の野のうちの一つ。平安時代初期に遊猟地としてみえ,近郊として宮廷の氷室(ひむろ)が設けられたり官窯が営まれたりしている。とくに栗栖野瓦窯は著名で,ここでの生産と思われる〈栗〉印の瓦が平安京跡からいくつか発見されていて,史跡に指定されている。中世にも近郊の勝地として親しまれたらしく,洛北七野の一つとして萩の名所でもあった。なお洛東にも栗栖野の地名がみられ(伏見区小栗栖),よく両者は混同されるが北区のそれのほうがより著名であったようだ。執筆者:井上 満郎 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報