西赤塚村(読み)にしあかつかむら

日本歴史地名大系 「西赤塚村」の解説

西赤塚村
にしあかつかむら

[現在地名]岩舟町静和しずわ

赤塚山の東麓に位置。東は沖島おきのしま村、西は茂呂もろ村・富士山ふじやま新田、南は曲之島まがのしま村。慶安郷帳に赤塚村とみえ、田六二石余・畑三七石余・野一二石余、旗本松田領。元禄郷帳には西赤塚村とみえ、下総古河藩領。改革組合村では旗本鈴木領で、以後幕末まで同じ。天保年間(一八三〇―四四)の家数一九(改革組合村)。安政二年(一八五五)の家数一六,男四五・女四四、馬六(岩舟町の歴史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む