三和(読み)サンワ

デジタル大辞泉 「三和」の意味・読み・例文・類語

さん‐わ【三和】

仏語。根・境・識の三つが合すること。

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精選版 日本国語大辞典 「三和」の意味・読み・例文・類語

さん‐わ【三和】

  1. 〘 名詞 〙 仏語。根・境・識の三つが和合すること。これによって触の心所を生ずるという。〔成唯識論‐三〕

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「三和」の意味・わかりやすい解説

三和(長崎県)
さんわ

長崎県南部、西彼杵(にしそのぎ)郡にあった旧町名(三和町(ちょう))。現在は長崎市南部の一地域。旧三和町は1955年(昭和30)為石(ためし)、川原(かわら)、蚊焼(かやき)の3村が合併して町制施行。2005年(平成17)長崎市に編入。長崎半島の中部に位置し、国道499号が通じる。中心地区の為石は橘(たちばな)湾に臨む漁港で一本釣り・延縄(はえなわ)漁業を主とする。1906年(明治39)男女(だんじょ)群島でのサンゴ採取中に遭難し、漁民の大半を失った歴史を有する。遭難碑は、五島(ごとう)列島の五島市富江(とみえ)町にある。川原地区は茂木(もぎ)ビワ、ミカンの特産地で果樹栽培が盛ん。海岸に近い川原大池には竜の伝説があり、「川原大池樹林」は県指定天然記念物。ほかに川原海水浴場もある。蚊焼地区は西岸に位置し、高島、端島(はしま)(軍艦島)を望む半農半漁村。岳路(たけろ)からは海底水道を通じて高島へ送水している。北部地区では住宅地の開発が進んでいる。

[石井泰義]


三和(新潟県)
さんわ

新潟県南西部、中頸城郡(なかくびきぐん)にあった旧村名(三和村(むら))。現在は、上越(じょうえつ)市の中央部を占める一地区。2005年(平成17)安塚(やすづか)町、柿崎(かきざき)町、大潟(おおがた)町、吉川(よしかわ)町、板倉(いたくら)町、名立(なだち)町、浦川原(うらがわら)村、大島(おおしま)村、牧(まき)村、頸城(くびき)村、中郷(なかごう)村、清里(きよさと)村とともに上越市に編入。旧村域は、保倉(ほくら)川谷口左岸に広がる。古代は久比岐(くびき)郡の里五十公(さといじみ)、美守(ひだもり)の2郷に分かれ、越後(えちご)に残る唯一の条里制遺跡地である。近世後期は上(かみ)越後の天領を支配する川浦(かわうら)代官所も置かれた。えちごトキめき鉄道(旧、JR信越本線)高田駅から約13キロメートル、バスの便もある。式内社五十君(いじぎみ)神社のほか、長峰(ながみね)窯跡などの旧跡も多い。水科古墳群(みずしなこふんぐん)は国指定史跡。

[山崎久雄]


三和(広島県双三郡)
みわ

広島県中部、双三郡(ふたみぐん)にあった旧町名(三和町(ちょう))。現在は三次市(みよしし)三和町地区。1955年(昭和30)双三郡板木村、世羅(せら)郡津名(つな)村の一部、上山(かみやま)村の大部分が合併して成立。2004年(平成16)、三次市および甲奴(こうぬ)郡の甲奴町、双三郡の吉舎(きさ)町、三良坂(みらさか)町、君田(きみた)村、布野(ふの)村、作木(さくぎ)村と合併して三次市となる(なお、この合併で双三郡は消滅)。旧三和町は江の川(ごうのかわ)水系の板木(いたぎ)川、美波羅(みはら)川の流域に開けた町で、双三郡の飛び地のようになっていた。国道375号が通じる。農業が中心で、米作、野菜栽培、畜産などが行われる。また、乳製品加工業もある。光永寺のカヤの木、敷名八幡神社の社叢(しゃそう)は県指定天然記念物。

[北川建次]

『『三和町誌』(1968・三和町)』


三和(京都府)
みわ

京都府中西部、天田郡(あまたぐん)にあった旧町名(三和町(ちょう))。現在は福知山市(ふくちやまし)の南東端を占める一地区。1955年(昭和30)菟原(うばら)、細見(ほそみ)、川合(かわい)の3村が合併して三和村となり、1956年町制施行。2006年(平成18)三和町は福知山市に編入。国道9号、173号が通じる。南は兵庫県に接する。標高500メートル前後の丹波(たんば)高地が大部分を占めるが、中央を由良(ゆら)川の支流土師(はぜ)川が西流する。農林業を主とする山村で、丹波グリ、ブドウ、マツタケの特産がある。冬の農閑期に西宮(にしのみや)や伏見(ふしみ)の酒造地に杜氏(とうじ)に出る者が多い。1996年京都北部中核工業団地整備事業が進められ、金属加工や機械製造の工場が進出している。

織田武雄

『『三和町史』全4巻(1990~1998・三和町)』


三和(茨城県)
さんわ

茨城県南西部、猿島郡(さしまぐん)にあった旧町名(三和町(まち))。現在は古河市(こがし)の東部を占める地域。1955年(昭和30)幸島(こうじま)、八俣(やまた)、名崎(なさき)の3村が合併して成立した三和(みわ)村が、1969年町制施行して改称。2005年(平成17)古河市に合併。旧町域は猿島台地と飯沼(いいぬま)川低地からなる。国道新4号バイパスと125号が通じる。江戸時代は諸藩領と幕府領がしばしば交替した所で、中心の諸川(もろかわ)は日光東街道の宿場。畑作農業が主でユウガオ(かんぴょうの原料)、ハクサイカボチャ、露地メロンが多い。東京から60キロメートルの圏内にあり、工場、住宅、人口が近年急増した。「三和祇園(さんわぎおん)ばやし」と大和田の「磐戸神楽(いわとかぐら)」は県指定無形民俗文化財。

[櫻井明俊]


三和(広島県神石郡)
さんわ

広島県東部、神石郡(じんせきぐん)にあった旧町名(三和町(ちょう))。現在は神石高原町の南部を占める地区。旧三和町は、1955年(昭和30)来見(きたみ)、小畠(こばたけ)、高蓋(たかふた)の3村が合併して町制施行。2004年(平成16)、油木(ゆき)町、神石町、豊松(とよまつ)村と合併し、神石高原町となる。国道182号が通じる。中国山地の一部吉備(きび)高原上にあり、農林業が中心である。1717年(享保2)以降、豊前(ぶぜん)(大分県)中津藩領で、神石高原町役場のある小畠には代官所が置かれた。米作が中心であるが、コンニャクの栽培が盛ん。また神石牛の飼育や酪農、養鶏も行われる。兼業農家の労働力を目当てとした備後(びんご)機業地帯からの縫製工場の進出が盛ん。

[北川建次]

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百科事典マイペディア 「三和」の意味・わかりやすい解説

三和[町]【さんわ】

長崎県西彼杵(にしそのぎ)郡,長崎半島中部の旧町。長崎市の南に接し,茂木地区に続くビワの産地で,ミカンも栽培。主集落は東岸の漁港為石(ためし)。海水浴場がある。長崎市への通勤者が多い。2005年1月西彼杵郡香焼町,伊王島町,高島町,野母崎町,外海町と長崎市へ編入。21.74km2。1万2247人(2003)。

三和[町]【みわ】

広島県中部,双三(ふたみ)郡の旧町。大部分が吉備(きび)高原の山地で,農業を主とし,酒米,野菜を産し,畜産を行う。主集落は羽出庭(はでにわ),敷名(しきな)など。2004年4月三次市,双三郡吉舎町,三良坂町,君田村,布野村,作木村,甲奴郡甲奴町と合併し,三次市となる。72.89km2。3873人(2003)。

三和[町]【さんわ】

広島県東部,神石(じんせき)郡の旧町。吉備(きび)高原の山地が大部分を占める。農林業を主とし,タバコ,コンニャクの栽培も行われる。神石牛として有名な和牛の飼育のほか,酪農,養鶏も行い,シイタケ,マツタケも産する。2004年11月神石郡油木町,神石町,豊松村と合併し町制,神石高原町となる。127.46km2。4622人(2003)。

三和[町]【みわ】

京都府中部,天田(あまた)郡の旧町。由良川の支流土師(はぜ)川の上流域を占める。平地が少なく農業を主とし,米作を中心に,畜産,野菜栽培を行い,シイタケ,クリなども産する。タオル,メリヤス,縫製などの企業もある。国道9号線が通じる。2006年1月加佐郡大江町,天田郡夜久野町と福知山市へ編入。90.53km2。4477人(2003)。

三和[町]【さんわ】

茨城県西部,猿島(さしま)郡の旧町。飯沼川など利根川の小支流が南流する低地を占め,米麦,野菜を産する。中心集落の諸川は日光東街道の宿町として栄えた。新国道4号線,国道125号線が通じる。近年,都市化が進んでいる。2005年9月猿島郡総和町と古河市へ編入。49.78km2。3万9667人(2003)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三和」の意味・わかりやすい解説

三和
さんわ

広島県東部,神石高原町南部の旧町域。中国山地の一部,吉備高原南端に位置する。 1955年来見村,小畠村,高蓋村の3村が合体して町制。 1959年藤尾村の一部を編入。 2004年油木町,神石町,豊松村と合体して神石高原町となった。中央を小田川が東西に流れる。農業が中心で,コンニャクイモなどの栽培と和牛の飼育や酪農が行なわれる。近年兼業農家の労働力を背景に,撚糸や縫製などの工場が進出。福山市への通勤者も多い。

三和
さんわ

長崎県南部,長崎市南部の旧町域。長崎半島中部にある。 1955年蚊焼村,為石村,川原村の3村が合体して町制。 2005年長崎市に編入。農業が主で果樹 (ビワ,ミカン) と野菜の栽培が行なわれる。中心集落の為石は橘湾に臨む漁港で,一本釣り,小型底引網,定置網の漁業が行なわれ,クルマエビは大市場に空輸されている。住宅団地の建設が進み,長崎市の郊外住宅地の性格を強めている。大部分が野母半島県立自然公園に属する。

三和
みわ

広島県北部,三次市の南部を占め,美波羅 (みはら) 川中流域に位置する地区。旧町名。 1955年板木村と津名,上山両村の一部が合体して町制。 2004年4月三次市,甲奴,吉舎,三良坂の3町,および君田,布野,作木の3村と合併し市制。標高 500mの高原上にあり,冬季の積雪が著しい。吉備高原を開析した谷間では,米作を中心に,養鶏,肉牛と乳牛の飼育が行なわれる。国道 375号線が通じる。

三和
さんわ

新潟県南西部,上越市中部の旧村域。高田平野の東部にある。 1955年上杉村,美守 (ひだもり) 村,里五十公野 (さといぎみの) 村の3村が合体して三和村が発足。 2005年上越市に編入。米作を中心に,シイタケ栽培や観光果樹園も行なう。開発は古く,国指定史跡の水科古墳群,条里制の遺構がある。

三和
みわ

京都府北西部,福知山市南東部にある旧町域。丹波山地にあり,中央部を土師川が流れる。 1955年川合村,菟原村,細見村の3村が合体して三和村となり,1956年町制。 2006年福知山市に編入。大部分は古生層の山地で,平地は少ない。米作のほか,養鶏,林業が主産業。タバコ,クリ,マツタケも産する。

三和
さんわ

茨城県西端,古河市東部の旧町域。 1955年幸島村,八俣村,名崎村の3村が合体して三和 (みわ) 村となり,1969年三和 (さんわ) に改称して町制。 2005年古河市,総和町と合体して古河市となった。畑作中心の農業の町で,ハクサイ,レタスなどを産する。

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日本の企業がわかる事典2014-2015 「三和」の解説

三和

正式社名「三和株式会社」。英文社名「SANWA CO., LTD.」。繊維製品製造業。昭和8年(1933)前身の「加藤商店」創業。同21年(1946)設立。本社は大阪市中央区南船場。衣料品メーカー。紳士・子供・婦人肌着、婦人服、子供・ベビー服を製造。全国の量販店・専門店などに販売。

三和

正式社名「株式会社三和」。英文社名「SANWA CO., LTD.」。小売業。昭和39年(1964)設立。本社は神奈川県相模原市南区麻溝台。スーパーマーケット。神奈川・相模原市と東京・町田市を中心に店舗展開。業態は「SANWA」のほかに「フードワン」がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「三和」の意味・わかりやすい解説

三和(広島) (さんわ)


三和(京都) (みわ)


三和(茨城) (さんわ)


三和(長崎) (さんわ)


三和(新潟) (さんわ)


三和(広島) (みわ)

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デジタル大辞泉プラス 「三和」の解説

三和

株式会社三和が展開するスーパーマーケットのチェーン。主な出店地域は東京都・神奈川県。

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