西遅沢村(読み)にしおそざわむら

日本歴史地名大系 「西遅沢村」の解説

西遅沢村
にしおそざわむら

[現在地名]西那須野町西遅沢

蛇尾さび川右岸に位置し、東・北は清水しみず川を境として東遅沢村。天正一八年(一五九〇)大田原晴清豊臣秀吉から安堵された所領のうちに「中ノ内、遅沢」一一六石四斗余があり、また富山とみやまなど五ヵ所とともに遅沢がみえ合せて三二石五斗余とも記される(「大田原藩領知覚書」伊藤安雄文書)。以後大田原藩領。慶安郷帳には西遅沢村のみみえ、畑方一四九石余。寛文四年(一六六四)の大田原藩領知目録には東遅沢村・西遅沢村・中之内なかのうち村がそれぞれ独立して記される。元禄郷帳以後中之内村当村に含まれ、江戸中期には西遅沢・東遅沢二村となった。旧高旧領取調帳には西遅沢村と中野内なかのうち(中之内)村が一括して記され、高一四五石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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