大田原晴清(読み)おおたわら はるきよ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大田原晴清」の解説

大田原晴清 おおたわら-はるきよ

1567-1631 織豊-江戸時代前期の大名
永禄(えいろく)10年生まれ。下野(しもつけ)(栃木県)大田原城主大田原綱清の子。豊臣秀吉,のち徳川家康につかえ,慶長7年4500石の加増により大田原藩主大田原家初代となる。1万2400石。駿府(すんぷ)城番,大坂城番をつとめた。寛永8年2月5日死去。65歳。幼名左兵衛,のち右兵衛尉

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の大田原晴清の言及

【下野国】より

…旧国名。野州。現在の栃木県。
【古代】
 東山道に属する上国(《延喜式》。ただし例損すなわち国内の荒廃田が10分の3以下のときは大国なみの扱いをうけた)。大化前代は大別すると,那須国造,下毛野国造に代表される二つの政治的・文化的地域に分かれていた。下毛野は渡良瀬川をはさんで西側の上毛野とともに毛野(けぬ)としての独自の文化圏を形成していた。大化改新以後,評(こおり)の設置が進行していく過程で那須が評(郡)として位置づけられた(那須国造碑)。…

※「大田原晴清」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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