日本歴史地名大系 「西里添村」の解説 西里添村にすだていすういむら 沖縄県:宮古諸島城辺町西里添村[現在地名]城辺町西里添(にしざとそえ)福里(ふくざとう)村の西に位置し、北東は比嘉(ぴいがー)村、南は友利(とうむ)村に接する。方音ではニスダティスゥイ。砂川(うるか)間切西里(にすだてい)村(現平良市)に属する村として名子や寄人によって形成された。一八九二年(明治二五年)与並武(ゆなんだき)・底原(すうくばり)・山底(やまずく)・与那節(ゆなうす)・溝原(んずばり)・横竹(ゆくだき)の六集落を本村から分離して当村を構成、村番所を東与並武(あがゆなんだき)に設置する。一九〇八年当村は字西里添となり、のち西中(にしちゆう)・西西(にしにし)・西東(にしとう)、吉田(よしだ)(沖縄戦後)の四字とされた。当村一帯は西城辺(にしぐすくべ)と称され、学校名も西城辺尋常小学校であった。西辺(にしべ)尋常小学校(現平良市)と間違えられることが多く、一九一八年(大正七年)西城(せいじよう)尋常小学校に変更、以来西城の呼称が一般化した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by