西阿閉村
にしあつじむら
[現在地名]高月町西阿閉
東阿閉村の南西、南流する余呉川左岸平地に立地。西境に賤ヶ岳山系南端の山本山(朝日山・阿閉山とも)があり、東麓に土豪阿閉氏の居城跡がある。慶長七年(一六〇二)の検地では田九五町五反余、畑屋敷六町七反余、うち上畑・屋敷五町余(伊香郡志)。寛永石高帳では彦根藩領二五三石余・幕府領七六〇石余・紀伊田辺藩領五〇七石余。両藩領分は幕末に至る。元禄郷帳では幕府領が甲斐甲府藩領、天保八年郷帳では山城淀藩領となっている。なお彦根藩領分は幕末に東阿閉村と同様に変遷。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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