西飯降村(読み)にしいぶりむら

日本歴史地名大系 「西飯降村」の解説

西飯降村
にしいぶりむら

[現在地名]かつらぎ町西飯降

中飯降村の西にあり、同村とともに「和名抄」記載の古代指理(いぶり)郷に含まれ、揖里(いぶり)村が鎌倉時代末までに東・中・西に分村。承久三年(一二二一)二月二一日付の大法師実鑁御影堂供料田寄進状(又続宝簡集)に、高野山御影堂に寄進された田地として「西揖里村字西垣内」がみえる。「西伊揖里」「西飯雨里」とも書き、応永元年(一三九四)の政所下方在家帳(同集)に在家一五宇・下地一町二反一一〇歩とあり、中世高野山領官省符(かんしようふ)庄下方に属した。また西南の妙寺(みようじ)村は古く当村に含まれていた(勧学院文書)。高野山文書の鎌倉時代から室町時代にかけての田券に、西揖里村の小字として平田・仮屋垣内・房北・流・西垣内・合相・栢本などがみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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