西高泊村(読み)にしたかとまりむら

日本歴史地名大系 「西高泊村」の解説

西高泊村
にしたかとまりむら

[現在地名]小野田市大字西高泊

厚狭あさ郡南部から続く丘陵瀬戸内海に延びた半島に立地し、最南端に縄地鼻のうじがはなの岬がある。北は千崎ちざき・東は東高泊ひがしたかとまり、西は厚狭川を挟んで末益すえます(現厚狭郡山陽町)の各村と接する。南東の海岸部に寛文八年(一六六八)に完成した藩営の高泊開作があり、西側の厚狭川に近い所に毛利氏一門の阿川毛利氏によって宝暦二年(一七五二)後潟開作うしろがたかいさくがつくられた。萩藩領で舟木宰判に属する。

康応元年(一三八九)将軍足利義満が下向した時の記録「鹿苑院西国下向記」は、神功皇后伝説を紹介し、「高泊といふ浦にて四十八艘の船を作て出し玉しに」と記している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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