西麻植村(読み)にしおえむら

日本歴史地名大系 「西麻植村」の解説

西麻植村
にしおえむら

[現在地名]鴨島町西麻植

敷地しきじ村の北に位置し、北は阿波郡知恵島ちえじま村、東は上下島じようげじま村、西は山田やまだ(現川島町)。中世には麻殖おえ庄のうちで、史料に散見する麻殖庄西方・麻殖西分などの遺称地とされる。建武三年(一三三六)二月二五日の飯尾吉連等着到状写(碩田叢史)によると、当時は飯尾隼人佑吉連が「麻植庄西方」の惣領地頭に補任されていた。康正二年(一四五六)九月二八日の旦那引注文(二階堂家文書)によると「麻植西分」には「こうや」と称する先達がいたことが知られる。また永正一一年(一五一四)三月三日の熊野参詣師檀相続注文(仙光寺文書)に「西麻植之使左衛門二郎内方子孫」「西麻植太郎五郎内方子孫」などとみえる。

慶長二年(一五九七)の分限帳には林与右衛門(能勝)知行分のうちに西麻植高七五六石余とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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